2024年7月16日火曜日

広重 ―摺すりの極きわみ― (あべのハルカス美術館 2024/7/6〜9/1)


僕が小学生の頃に習ったのは「安藤」広重でした。
安藤家に生まれたので「安藤」。火消しの家で、広重自身も家督を継いだと言います。
その後歌川一門で浮世絵師となり、広重の名前をもらいます。
歌川一門の他の絵師は皆「歌川」と呼ばれていますので、当然広重も「歌川」広重であるべきですが、なんで「安藤」になったんでしょうね。そっちの方が不思議。

絵師としては、風景画を得意としますが、それは武者絵や美人画、花鳥図などが得意な先輩がいたから。
得意分野で生きていく、というのはいつの時代も必要とされますよね。

広重の少し前の時代に、北斎が風景画でヒットを飛ばしてますので、当然一番意識したでしょう。
青(ベロ)を多用しているところ、独特の赤との対比も影響を感じます。
時には北斎のような大胆な構図にトライしますが、やはり広重は安定構図だと思います。

今回の展覧会は、広重の初期から晩期まで広く扱っていますが、驚くのはその種類の多さ、数です。注文があれば断ることなく全て受け、器用に表現しているのは素晴らしいなと思います。
北斎もそうですが、アートのマスタリーは質より量ですね。


https://www.aham.jp/exhibition/future/hiroshige/





2024年4月5日金曜日

古代メキシコ展 (国立国際美術館 2024/2/6〜5/6)

アメリカ大陸に人類が住み始めたのは2万年前のこと。もちろん狩猟採集民族です。
東アジアに到達した人類は、当時陸続きだったベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸を発見します。
しかし、その旅は果てしない困難があったと思われます。
寒さとの戦い。
おそらくマンモスを追って寒い地域へ住むようになったんでしょうが、毛皮を着、そのために縫製の技術も必要とされたでしょう。縫製のためには糸を作り、針を作り、ナイフを作る必要があったことは想像できます。
それでも北極圏で住むのは別格だったと思います。現代のイヌイットの生活が必要になります。
その民族だけがアメリカ大陸に渡る権利を得ました。
しかしそこは極寒の地とは全く違う別世界だったんですから驚きだったでしょう。
おそらく捕食対象の大型動物が生息し、温暖な夢のような生活だったんでしょう。
トウモロコシは自生では実が小さく、なぜそれを栽培して改良しようと思ったのかは謎ですが、植物を栽培するというのは移住当初の人類は経験していなかったはずですので、自力で農業を始めたことになります。

そして、当展覧会の文明を作っていく訳ですが、ここでは主に3つの文明を紹介しています。
古い順で、紀元前1500年のオルメカ文明、紀元前1200年〜16世紀のマヤ、14世紀〜16世紀のアステカ。その後はスペインに征服されてしまいました。

文字を持たなかったので歴史を残さなかったのかな、と勘違いしていましたが、立派に文字があり、石に刻まれています。

王政があり、ピラミッドを作り、天文に長けていたようです。
驚いたのは、古代から生贄の習慣があったことです。生贄が宗教の中心にあり、連綿と続いてきたようです。
インディジョーンズに出てきたような、心臓を抉るようなことも行われていたようで、今の感覚からすると信じられませんが、生と死は境目が曖昧で、集団と個人の境目も曖昧だったんでしょう。
日本はそんな習慣が根付いてなくてよかったなと思います。

どうやって王朝ができていったのかは明らかにされていませんが、呪術、宗教的な要素が大きいような印象を受けました。
マヤは農業に向いた土地ではなかったようです。
石板には戦士も描かれているので、もちろん武力抗争はあったんでしょうが、各文明の都市を見ると、宗教による畏怖が権力の根本のように感じられました。
空想の神の世界、生贄、天文の知識....これらが人をまとめていたんでしょう。
スペインのコルテス率いる小部隊がアステカを制圧できたのも、武力がそれほど重視されていなかったからかもしれません。もちろん部族対立をコルテスが巧みに利用したことも大きいですが。

ちなみに「Aztec Camera」って、「アステカのカメラ」という意味だったんですね。知りませんでした。もちろんアステカにカメラはありません。

https://mexico2023.exhibit.jp/



没後50年 福田平八郎 (大阪中之島美術館 2024/3/9〜5/6)

完成した絵に混じって、写生帳も展示されていました。
その写生魔ぶりは凄まじい。絵を描くのが本当に好きなんだなと感じました。
図録を買ったら、その写生帳の、展覧会では開かれてなかったページも紹介されていて、これはお得でした。

中期の作品は、それはまあ緻密に、正確に写し取っています。写真ではなく、目で見た通りを描き写しているのがすごいところです。

普通の造形では飽き足らなくなったのか、水面、雲、雪、といった、ほとんど抑揚のない、というか形のないものを絵にすることに挑戦しているところが、病的と言っていいでしょう。
極限までデザイン化して、ミニマリズムの一歩手前まで行って、でも単純化を超えて微妙な揺らぎがある。

ホント、感心します。

順番としては「細密から入って、崩していく」ことらしいです。逆はできない、と。
僕なんかはどうしても根気が続かない。
好きだから続く、これは才能なんでしょうね。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28599

https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/7876